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拉致被害者の家族を見ると...
拉致被害者の方々が日本に帰国して、1カ月余が過ぎました。
拉致被害者の家族の方々を見ていると、「どうして、こんな仲の良い家族ばかりを狙って北朝鮮は拉致していったんだろう。」ってことです。
仲の悪い家族もこの日本には沢山存在しているはずなのに、よりによって結束の固く仲のよくかつて幸せであった家族ばかりをわざわざ狙ったんじゃないかと疑いたくなるよう。
拉致被害者の家族や「救う会」の方の皆さんの必死で大切な人達を捜す様子をテレビで目にするだに、辛い気持ちになるのは私だけではないだろう。
今度北朝鮮に調査団が行くときに持っていく為にとったというビデオレターなんか、ニュースで流れれば涙なしでは見ることは出来ない。
10年もすれば教科書に今回の拉致問題が掲載されるでしょう。
「2002年、北朝鮮・平壌で金成日と小泉純一郎総理大臣の間で日朝首脳会談がおこなわれ、そこで歴史的な平壌宣言がなされ、国交正常化に向け大きく前進し、金成日は拉致問題を認め正式に謝罪した。」と。
歴史は間違いなく、毎日の小さな積み重ねで出来ているんだと実感するのは、こんな時です。
でも、まだ、拉致問題は解決していません。
一日も早く全容解明がなされるといいと、毎日祈るような気持ちでテレビを見ています。
それにしても、私たちが知らない事実ってまだまだ一杯あるんですね。
私が通っていた中学校は文京区の千駄木という所にありました。
森鴎外の屋敷跡などがあるお屋敷町、とても静かな江戸情緒の残る閑静な住宅地の高台にありました。
坂下はこれまた好対照。
下町情緒たっぷりの商店街が続いていて、昔ながらのお総菜やさんやお煎餅やさん、お魚やさんなど様々な人々の暮らしを支える商店が魅力的な絶妙なバランスで軒を並べていました。
そして、その商店街を抜けると区界がありました。
区が違うと、こうも雰囲気が変わるかというくらいがらりと趣を異にするのが不思議なくらいでした。
で、その違う区には朝鮮人学校がありました。
私は越境通学をしていたので、電車通学でしたので、隣の駅から乗り込んでくるチマチョゴリの女生徒達を目にする機会は多いので、不思議なことは何もなりませんでしたし、むしろ女らしいスカートで長い風が吹けばふわりとゆれる様が羨ましくさえありました。
でも、彼女たちはいつも何かに鋭く目を光らせているようなガードの堅さを感じさせるオーラをまわりに漂わせていました。
そのころの私たちは判らなかったけど、きっと、チマチョゴリを着ていることで(一発で在日朝鮮人とわかるだけに)嫌がらせとか受けていたんだろうなぁ。
同じ学年にも、在日朝鮮人、在日中国人の生徒が何人かいました。
私たちの学校は、特別なにか道徳教育があったわけではありませんが、在日の子達を特別な目で見ることもなく本当に普通に友人関係を築いていました。
いじめとか、全くありませんでした。
中学三年生になった時のクラスがみんなとっても仲良しで、男女の仲も良くてしょっちゅう男女含めて十数人で一緒に遊んでいたんですが、ある時在日朝鮮人の子のお家にみんなでどやどやお邪魔したときのこと。
そこのお母さんが友人を沢山連れてきた自分の息子を見て絶句し、「まぁ、うちの子にはこんなにも沢山お友達が居たの、、、みんな、仲良くしてくれてありがとう。ど
うぞ、ゆっくりしていって下さいね。」と、(本当だったら、十数人もの子どもが2階にいて階段をどたどた上がり下がりしたりしたら迷惑だろうに)涙を浮かべておっしゃられた時に、「!?」。
そしてその時に初めて、在日朝鮮人の方の日本に於ける辛い境遇が存在するんだというのを、うっすら想像したものです。
その後、何人かの在日の子と友達になりました。
その度に、日本でどんなに酷い目に遭ってきたかを多少は聞かせてもらいました。
でも、私は中学生だった時と同じように特別扱いすることなく、今では彼女たち彼らの民族にある種の敬意を表し、互いの違いを認めでも今は同じこの日本国で生活をしている仲間というスタンスで接しています。
中学生をいう多感で色々な価値観を育む頃にそういう開放的に環境で育ったこと、本当に良かったと思います。
中国にいっても、「多くの日本人はうわべはとてもニコニコしていて、友好的だけど、その実心の奥底のところで私たち中国人を日本人より劣っているという風に考え、優越感を持って私たちに接している人が多い。でも、そんな人私たち、判るよ。ちゃんと。馬鹿じゃないよ。なんで、あなたはそうじゃないの?」と聞かれたりする。だって、民族間の優劣なんて、ないもん。
あるわけないもん。
本当にそう思っているから。
私個人が中国人の仲の良い友人より劣っている、とは思うけど、それは私個人の資質の問題であって、日本人全体を表すものではないから。
海外に何回も行く機会を得て、心底思うのは、「人間には二種類。いい人と悪い人。民族間での違いより、いい人は民族が違ってもいい人だし。悪い人は同じ日本人でも絶対に仲良くなれないし、なりたくもないし。」ってこと。
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